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解体工事スタート

RRP小説 第6話

まだ全然使えるけれど解体

 新たなパートナー梅宮組との契約は3部屋の請負契約となった。

来年の3月初旬までに2部屋の工事を終え、残り1部屋を4月末頃までに終わらせたかったので

工程管理が得意である梅宮組にお願いすることにしたのだ。

 工事が始まるにあたってまず問題だったのは、工事対象である2部屋に残されている残置物を移動することだった。ひと部屋はRRP大規模修繕工事の現場事務所として使用していた部屋、もうひとつはRRPのプロジェクトでいったん保管しておけなければならなかった物品や機材を保管していた部屋だった。DIYマンションの拠り所となる工作機械・工具などがすべて保管されていたので、部屋の中は物で溢れかえっていた。

 「解体開始は12月5日ですが、本当に大丈夫ですか?」と梅宮社長は心配そうに言った。

 「はい?何か問題ありますか?全然問題ないです」と私は返答した。

 はじめての工務店さんとのはじめての仕事を開始するにあたって、お互いどんなやり方をするのか、信頼に値するのかしないのか、とにかく最初が肝心だ。格闘技で言うなら、ゴングが鳴ってお互いパンチがあたる距離感をはかっているような状況だ。何としても約束は守らなければならない。

 

 

 とは言ってみたものの部屋に残されている物量はかなりの量で、それらを何処に移動すれば良いのか。ひとりで運びきれるか、など内心不安だらけであった。

解体開始2日前、3日の午後からすこづつ荷物を運び出しはじめた。

翌日4日は朝から大物を中心に、部屋を何往復もして家具や機材を運び出した。昼頃にはかなり消耗していたが、約束してしまったからには運び出さなければならない。何しろ手伝ってもらう人もおらず、最近ろくに運動もしていない中年にはなかなかキツイ作業なのだ。

とにかく約束を守らなければという一心で作業をすすめ、辺りが暗くなった頃ようやくほとんどのものが部屋からなくなった。残りの細々したものは、明日の朝少し運びだせば大丈夫だ。

 5日の朝は少し肌寒い晴天だった。

「おはようございます、本日から解体工事に入ります」と梅宮組の山内さんが挨拶にきた。

「はい、よろしくお願いします」と挨拶した。

いよいよ最終工事がスタートする。大規模修繕工事もなんとか終えることができたし、あともう少し頑張ればRRPリノベも終了だ。

朝9時を過ぎると建物に響き渡るように、「ドスーン、ガガガ!」という作業音が聞こえてきた。

 

 今回工事をする3部屋は、正直解体までやらなくてもリフォームすればまだまだ貸し出せる状態の部屋であった。最小限の費用でリフォームして貸し出しするというのが、賃貸業の鉄則なのは理解している。

 

 では、なぜお金をかけて部屋をスケルトンまで解体してリノベをする必要があるのか?

 

そう思われる人は多いだろうと思う。

 なぜ?と言われて自信をもってこれが正解です。と言い切れないのは歯がゆいが、私の中で直感的にひとつの想いがあるのだ。それはとある地方で賃貸マンションを管理していた時の経験だ。

 

 親から賃貸マンションを相続した当時の私は、東京だけでなくとある地方都市の中心地から車で15分ほどのところにあるRC4階建ての賃貸マンションも管理していた。東京の物件に比べて部屋も広く、エレベーター、駐車場完備の施設だった。築年数もそこそこで条件としてはRRPの物件に比べ、すべてが優っていた。

 ところが、まだ経験の浅かった私はそこで 地方都市の賃貸管理の洗礼を受けることになる。

 「えー、礼金はこのあたりでは取れないですよ、あと更新料もないですね。」

と先代から付き合いのある地場の不動産会社社長、柴山さんニヤッとしながら私に言った。

「あのー五十嵐さんはまだ知らないかもしれないけど、東京と違ってそういう慣例がないんです」

「最近、郊外の農地なんかが整備されてきて、若い夫婦層なんかは、みんな家買っちゃうんですよね」とつぶやきシローのような独特のイントネーションで柴山社長は言った。

柴山社長の経営する地場の不動産会社、有限会社かまがわ不動産は、中央駅からほど近い雑居ビルの1Fにあった。けして広くない薄暗い蛍光灯の書類だらけの事務所で、以前引き継ぎの挨拶に来てはいたが、今回は募集方法の打ち合わせで柴山社長から話を聞いていた。

「そうなんですか、それはきついですね」と私は小さく返答した。

「それで家賃は5万円で募集したいんですけど、」と私。

「あのね、あのあたりの相場は3万円ですよ」

「五十嵐さんのところはまだ綺麗だから5万で募集できなくはないけど、すぐ決めたかったら3万円台にしないと決まらないと思いますよ!」と柴山社長はキッパリと言った。

「さ、さんまん円台ですか!」

「50平米以上あるんですよ、駐車場もついて」と驚いて私が言う。

「リーマンの後、大手の支社が撤退しちゃったでしょ、それから相場がガクーーンと落ちちゃったんですよ、借り手も法人から個人になっちゃったしね」

こんなやりとりから始まった私の地方都市でのアパマン経営は、その後10年続くことになった。その10年の間に、空室と家賃下落の恐ろしさを身を以て体験することになる。

そしてこの流れは遅かれ早かれ東京にもやってくると思うようになった。

ここ東京でも、いつまでも当然のように敷金、礼金、管理費を取れる時代は終わると確信した。

 人口減少がさけばれている昨今、巷に溢れている賃貸物件と同じことをしていても勝てない。

古いからこそできることがある、他のどこもやらないようなことをやる必要があると考えるようになっていた。

 そんな想いからスタートしたRRPリノベ工事も最終段階に入った。

今回の工事は、プロジェクト当初からメンバーとして協力してくれている建築士の青山さんに、基本すべて任せようと考えている。なぜなら建物の管理者である私、五十嵐の意見を取り入れすぎると客観性のない空間になってしまう危険性があるからだ。

 

彼は、これまでの工事でRRPでやりたいことについては理解していると思うし、なによりこれまで本来 施主という立場でそこまで必要のないと思われる細々としたことまで確認し判断してきた。

 

最後の工事は、パートナーを信頼して任せたほうが良いものが出来ると考えてのことだ。

そろそろ自分は少し距離をおいて任せてみようと思っての判断だった。

そして解体工事は順調に滑り出した。