大開口の窓枠がサイズミスで
ブログ主である私 五十嵐一家は、1月の末にRRPにて完成予定の部屋に引越しを予定していた。
今回もいつものように完成予定日の数日前になっても、予定通り完成するとは到底思えない状況であった。ただ、納期というものは守ろうという気持ちがなければ、いつまでもズルズルと長引いていく性質のモノだ。私の立場で納期を守ることを宣言しなければ、まったくコントロールを失ってしまうことになる。だから私はこのプロジェクトを通して納期の大切さを肌感覚で学んだ。
「予定通り引越しは行います。ただ引越業者さんの予定があわず2月5日に引越することになりました。それまでにかならず工事を完了してください。」
毎週火曜の定例会議で私は関係者全員に伝えた。
数日後、工務店さんから連絡があった。
「あのー、申し訳ありません。実は、、開口部のサッシの採寸サイズを間違えまして、
再度発注を行わなければならなくなりました。大変申し訳ないのですが、ブルーシートと
プラスチックの波板で塞いだ状態でなんとかご了解いただけないでしょうか。」
「・・・」
私はその言葉を聞いて一瞬無言になったが、直感的にそれ以上追求することはしなかった。
これまで何度も書いているように、工事は何が起こるかわからない。問題が発生しない工事
などありえない。では同じような状況で、私が腹が立つ場合とそうでない場合はなにが違うのか?
いい機会なので説明しておきたいと思う。
私はこう思っている。
私がある状況で問題が発生した時、発生した問題について ”ごまかそう” としたり "嘘をついたり"
したとき、またはそのように感じられた時はとにかく腹がたつし、基本憤っていることを伝えるようにしている。
許してもらえる前提で言い訳をしていると感じたり、問題を誰かのせいにしていると感じた時も、とにかく腹がたつ。担当者に立腹していることを伝えても改善されないようであれば、それは信頼に値しないという判断となる。
担当者本人がそんなつもりはない、ということももちろんあるだろう。
しかし直感としてそのように感じられる場合は、すべて上記のように判断している。
見方を変えると、立場が逆の場合には自分が絶対にしてはならないことがよく理解できる。
施主が「いいよ、しょうがないですね。」と言った言葉にも様々なケースがあり、言葉とおり
しょうがない、今度は気をつけてね と言っている場合もあるし、もう信頼に値しないなと見切りをつけている意味である場合もある。
依頼を受ける場合はつねに緊張感を持って自分がはたすべき責任を明確にして行動する、ということが大切なのだと思う。
「人は自分が経験したことしか想像できない」と聞いたことがある。
自分が親にならなければ親の気持ちは理解できないし、施主になってみなければ施主の気持ちはわからないだろう。だからこそ自分が仕事を受ける立場の場合は、依頼する側の気持ちになって、自分が感じたことを自分がやらないようにだけは気をつけたいと思う。そういう意味でRRPは、本当に勉強になるプロジェクトだと思う。
さて そんな訳で五十嵐一家は、ブルシートの貼られた大開口の窓とともに2月から4月まで生活することになった。納期までに結局2ヶ月かかったということになる。
1年で一番寒い季節をブルーシートとプラスチックの波板で過ごせたことは、私の中で結構大きいできごとだ。本来そんな状況じ事態普通はあり得ないのかもしれないが、嘘ではなくすぐに慣れてしまいブルーシートの貼られた部屋に来客があっても、そもそもブルーシートのことを忘れていることもあったくらいだ。今では懐かしく思える。
プロジェクトの初期から大多数の部屋の工事を請け負ってくれた工務店さんや、設計の青山さん、塗装屋さんや、電気屋さん、設備屋さん、そして大規模修繕の後藤の担当者たち。
いろいろ不満も多く、いろいろな問題が発生したのあるが、正直なところ関係者の人たちには本当に感謝している。
今では当たり前のようで、工事前の状態がどんな状態であったかも思い出せないけれど、現在の姿になったのは関係者の協力があってこそだ。新築ではないリノベ工事という制約の中で、編集しながら暮らすという途方もないコンセプトを掲げた我々に、多くの労力を割いてイメージを具体化してくれたことに心からお礼を言いたい。
多少の額ではない、多くのお金を払ったという前提で事態を観察した時、私の言動は荒くなっているように自己分析できる。お金を払うということが、権利を主張できるということであるならば、それは当然の行為であると思う。それは慈善事業ではないのだ。お金を払ってどんなミスも許容し経験を積ませてあげるためにやっているのではない。
すべては結果を得るために行なっているのだ。
しかしそれも冷静になってみれば自分自身への甘えなのだろう。
人に多くを期待することや、自分には責任はないと思うこと。
問題に正面からぶつかり切ることをせず回避しようとすること。
途中であきらめること。
これから直面するであろう様々な問題に不安を感じ、結局は責任回避しているだけなのかもしれない。あの思い出したくもない梅宮組の件にしたって、本当は自分に責任があったのかもしれない。
ブルーシートだった窓が木枠の窓に取り替えられて数ヶ月たった今、私はそう感じはじめている。
2年前老朽化という大問題を抱えていたApartment RIKYU は、多くの関係者の協力のおかげで新たな役割をもつ建物に生まれ変わった。そして、 RRPの理念に賛同してくれる魅力あふれる住人たちがあらたに入居をしてくれた。
これまで、RRPで起こった様々な出来事を包み隠さず書き綴ってきたが、最終的には本来の目的を達成したと思うのだ。これまでの努力は住みての人たちのために行なってきたことだ。当初は顔を思い描くこともできなかった人たちが新たに Apratment RIKYU の住人となってくれた。
今、大切なのはそれぞれの住人さんたちがどんな暮らしを作り出していけるかということだ。
空間を提供するというRRPの第一段階の目的は、ほぼ完了した。
これからは大家としてできることをやる番だ。
繰り返しになるが、
これまでRRPに携わってくれたすべての方達に感謝を申し上げたい。
[ この物語はフィクションです ]